説教3年サイクル説とは、もちろん「牧師というものは3年150週分の説教を作ってあって、それをローテーションで使いまわしている」とする説です。
大きな教会で、信徒さんの間では盛んにささやかれていました。牧師になってからは、そうした陰口を聞く機会も減りました。
多くの牧師は「使いまわし」をしている意識はないので心外に感じるでしょう。それにもかかわらず、この俗説は一部の信徒さんには深い共感をもって受け入れられていました。さらには、ほとんど「慰め」または「救い」にも近い安堵感さえ与えていたことを思い出します。
説教に意欲的な教会では「3年サイクル説」に代わって「7年サイクル説」が多いようです。けれども、「3年」が「7年」に延びたところで、問題の本質は変わらないでしょう。
こうしたことからも、私(北川)は説教リバイバルの必要性を強く感じています。
こうした信徒のナマの感想が、牧師になってからはなかなか聞こえてこなくなっていることについては、どんなものかと複雑な思いです。
説教の度にいちいち悪口を聞かされていたら、牧師とて気持ちが萎えてしまうでしょう。それでも今後の教会のためには、牧師に苦情が届かない組織体制もいかがなものかと思います。
そして、こうした問題は、牧師だけが考えていても解決しにくいことかもしれません。