2005年10月17日
北川一明

　韓國社會は、1970、80年代に日本の社會と�ﾍ會が抱えていた問題をそのまま持っているようにも感じられます。社會の秩序が急速に壊れていっています。ただ、それでも日本よりは秩序崩壊の速度は遅いことが予想されます。今回は韓國の敬語と社會の關係を書いてみました。

�T．老人が敬われる社會
　　(今のところは一応かろうじて老人が敬われている社會）
　地下鐵に乗って一番感じさせられることは、韓國では多くのひとが老人に席を譲ることです。「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい」という聖書の言葉(レビ記19:32)を、クリスチャンでない人たちまでよく守っています。
　こちらに来て、私も席を立つ習慣がすっかり身に付きました（老人に対する尊敬やいたわりの気持ちからよりも、座席に座り続けていることが恥ずかしいからかもしれませんが……）。ところが日本に一時帰國した時、横須賀線ならいざしらず、山手線、中央線でも若者は席を立とうとはしません。少なからず残念に感じました。
　でも、もう少しよく見てみると、世の中はなかなか複雑なようです。この一事をもって「韓國社會は良い」とは言えないことにも気が付きました。
　日本の電車の中では、白髪の人たちは、席を替わってもらうことを期待していません。ほとんど諦めているようです。席を替わろうとしても遠慮されて、ぼんやり立ちつくしている間に横から若者が座ってしまったなどという経験のあるひとも多いでしょう。バツが惡くって、「二度と席など譲るものか」という気分になります。
　韓國では、老人は、席を譲られることを期待し、露骨にアピールして見せます。だから席を譲るのは簡単で、すがすがしい気持ちさせられる場合もありますが、なんとなく不愉快で後味の惡い場合もあります。
　若者だろうが新世代だろうが、自分が尊敬する相手、敬愛する相手に対して敬意を表するのは当たり前でしょう。誰でも抵抗がなく敬意を表し、礼を尽くします。
　しかし社會が尊敬できない相手に対してまで礼を尽くすことを強要するならば、自分の頭で考え自分の行動を自分が選択するタイプの人たちは、そんな社會に反抗したくなるのも、また当然でしょう。韓國社會には、月だろうがスッポンだろうが、雲だろうが泥だろうが、相手が年長であれば形だけでも敬ったフリをしなければならない無言の圧力があるようです。

�U．敬語と社會秩序
　韓國の敬語を聞く時、世の中の無言の圧力を感じます。
　韓國の敬語は、世界的に見れば物凄く複雑で、西洋人、アラブ人のみならずアジア諸國の人たちも覺えるのに苦労しています。それでも日本の敬語と比べればずっと単純です。そのため小學生でもオトナに対してきちんと敬語を使います。
　韓國敬語の特徴は、自分の身内でも年長者には尊敬語を使うことです。会社で社員が社長と話しをする時も、「うちのお父様がおっしゃいました」などと言うのです。（われわれ日本人が聞くとたいへん奇妙ですが、世界的に見れば、日本の「身内意識」に根ざした複雑な規則よりも、韓國のように年長者を一律に敬う方が分かりやすいかもしれません。）
　そして、こうした単純合理的な年長者尊重の言語は、そのまま社會全体で年長者を敬わせる雰囲気を作ります。ここまでは、まぁたいへん麗しいことかもしれないと思いました。
　私が韓國の敬語に感じる不満は、年長者は若年者にパンマルと呼ばれるぞんざいな言い方をしなければならない義務がある点です。
　私が語學を�ﾍわっている現場では、たいがい私が最年長です。ところが私の場合、ついつい「おソダチの良さ」のよーなモノが出てしまって、若年者にも丁寧語を使ってしまいます。すると先生から「奇態だ」と必ず注意されるのです。「若年者をも人格として尊重するのが、なぜ惡い」と、いつも釈然としないものを感じます。

�V．自分で選択できない秩序
　言葉の上で上下關係がはっきりしていれば、上下の秩序は自然に保たれることになるでしょう。ですから韓國では、昔ながらの秩序は日本よりもずっと良く保たれています。
　けれども、そうして出来上がっている社會秩序が必ずしも良いものとは限りません。韓國で敬語が厳格に守られているのは、むかし両班が民衆を圧迫しながら支配していたことと關係があるように思えます。
　民主化が進み、�ﾍ育が普及したら、世の中に支配階層と被支配階層の別があること自体が不合理なことになるのは当然です。韓國でも、近代に支配階層が不合理な既得権益を無理に守ろうとしたのでしょう。目上の者が目下の者に惡い言葉を使わなければならない習慣も、既得権益維持のための姑息な手段の名残りのようにも思えるのです。
　支配階層の理不尽な支配が民衆の反発を招き、その結果、他國による侵略を許すことになったのは、90年代から今世紀にかけての中東も、前世紀の朝鮮も、少し似ているところがあるように思えます。（もっとも、中東でも朝鮮でも、自國の利益のために侵略した側には、もちろん何のエクスキューズもないのは当然です。）

�W．自分で選択する秩序
　敬語には、恐ろしい威力があります。
　子供の頃、祖母に「カズアキ、やめなさい！」と言われたくらいでは、私はやりたいことをやめませんでした。もともと優等生で、惡いとは思っていなかったからやっていたので、注意された場合には必ず「なんで？／どうして？」と理由を聞き返していました。
　けれども（滅多になかったことですが）、その祖母が「カズアキさん、あなた、そんなことをなさってよろしいんですの？」と真顔で聞いてきた時には、こちらはビビッて立ちすくみました。
　祖母は、敬語によって私を対等に扱いました。言い換えれば、敬語が祖母と私を対等かつ公けの立場に立たせたのです。すると、こちらは50歳以上歳が違っていても、祖母と対等な一個の人間として、倫理的な判断をしなければならなくなります。そこまで尊重されてしまうと、うっかりクダランいたずらなどしていられません。我に返った後は、慌てて「ご、ご、こ、ごめんなさい、おばあさまッ！」と、平謝りに謝るしかありませんでした。
　韓國では、それがないのです。両班は、民衆に自律的な判断をさせなかったのかもしれません。「上が黒と言えばクロ、白と言えばシロで、下は何も考えない」という上下關係の秩序が、今も言葉の上で残っています。その結果、男女差別などの不当な「社會秩序」が日本よりも多く残っているのです。

�X．崩壊しつつある秩序
　そんな韓國社會も、良いんだか惡いんだか、秩序が崩れつつあります。
　地下鐵で席をよく譲るのは、子供と、30代、40代のひとたちです。子供は、まだ親の言いつけを守っているのでしょう。10代反抗期の青少年が席を譲らない子がいるのは仕方ありません。ほとんど通過儀礼のようなものです。けれども、20代の若者たちの中に、平気で座っている連中があるのです。（それでも10代、20代の平均をとれば、日本よりもずっとよく席を譲るようです。）
　大學入試競争が一段と激しくなった世代でしょうか。他を蹴落とす競争をしつつ秩序を守るなんていう芸当は、並の人間にはできません。競争させられ続けて来た子供たちは、他者をいたわる情が少なくなって当然です。
　これは、もちろん憂うべきことでしょう。
　それでも、その代わりに実力のないひとがただ「男だから／年長だから」という理由だけで威張っていることはできなくなりつつあります。秩序によって、世の中は、一方では無難かつ安心で、他方では不合理かつ差別的でした。それが、秩序が崩壊しつつある結果、既得権益にアグラをかいてラクをすることがし辛くなってきているのです。
　それでも、私が賛成しかねる敬語のおかげで、そんな秩序崩壊の速度が韓国ではほんの少しだけ遅くなっているようです。

�Y．教会への適用
　さて、蛇足になりますが、商売柄これらのことを�ﾍ會運営に無理に当てはめてみますと；
　秩序崩壊で既得権益を奪われるのが「惡い者」や「強い者」であるのならば、世の�ﾍ會人たちは喜ぶかもしれません。けれども既得権益を奪われるのは、「惡い者」と「弱い者」のようです。逆に、秩序を守ると「弱い者」と「正しい者」が守られるのならば、秩序は善いものなのでしょうが、秩序によって旧惡も守られている所が秩序の問題です。何もかも都合良くはいかないのです。
　そこで、�ﾍ會は秩序に対して必ずしも一律に「守る側」にはまわれません。どっちつかずで是々非々で対応しなければならないと思います。
　前世紀の戦争の時、日本の�ﾍ會は、國家の秩序を守る側にいました。今それを反省しながら、それでいて単に「古き良き秩序」を礼賛してばかりもいられないはずです。
　�ﾍ會は、席を譲らない20代の若者たちをも訴求対象としています。�ﾍ會がキリストの福音を正しく宣べ伝えていたら、地下鐵で席を譲るような思いやりやいたわりのこころがいつのまにか醸成されていることもあるでしょう。けれども、�ﾍ會で福音が正しく宣べ伝えられたならば、その結果、社会秩序が破壊されることもあるかもしれません。
　……ト、少々無理矢理�ﾍ會と關係付けることになってしまいましたが、キリストの福音とは、小さな秩序に留まっているものではないと思うのです。席を譲らなかった若者ばかりでなく、それに腹を立てていた老人や周囲の人々も、どちらも作り替えられるのがキリストの福音に違いありません。

おわり