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韓國レポート#1

2005年4月18日
北川一明


 【韓國教会】

 多くのかたのお支えにより、どうにか韓國で生活を始めることができました。
 教会関係のお金で来ているだけに、何とかキリスト教界の役に立つ報告をしなくては……とのプレッシャーを、勝手に感じております。
 しかし残念ながら、来韓後3、4度の安息日を過ごしただけでは、私にはパウロのように(使徒言行録17:2)この社会に入り込む実力はありません。ですから、まだほとんど何も分かりません。
 初めの数ヶ月は 《a.現代韓國の事情》 と 《b.なれない生活に苦しむ人間の心身の変化》 について報告することになるでしょう。
 《b.なれない生活に苦しむ人間の心身の変化》は《寄留の異邦人》であることが多かったイスラエルの民や初代クリスチャンの心理状態に重なるところもあるはずですので、その報告は聖書を読む視点を広げることに役立つかもしれません。
 そんな中でも痛感させられていることがあります。ここに理想の教会、理想の信仰、理想の説教がある訳ではないということです。
 説教が始まるなり、いきなり爆睡する信徒も大勢います。
 ただ、それが信徒の責任とばかりも思えません。私の良く知っている国の教会と同じく、ここでも信徒が牧師の説教に多くのことを期待できないでいるのかもしれません。
 韓國教会説教の批評は >>>>こちら<<<<



 【現代韓國】

 4年前にも訪韓しましたが、その時は義父の葬儀をしただけでとんぼ返りでした。「韓國」をある程度味わうことが出来たのは、ほぼ6年ぶりです。
 生活レベルが激変していました。
 まず、IT先進超大国になっていることに、日本国内産業の危機を感じさせられました(このことは、また別に報告したいと思っています)。
 この変化は、義弟によれば2年前のほんの一瞬の時期に成し遂げられたということでした。私はかつてシステム・エンジニアをかたってカネを稼ぎながら、パソコンが大の苦手でした。そんな私がこのホームページを立ち上げた頃は、日本でもブロードバンドが大衆化した時でした。そのころ韓國では国を挙げてインフラごと変化していたのです。

☆☆

 しかし恐らくそれよりも重大な変化と思われることがあります。女性のメイク(化粧)が一変していたのです。
 メイクの変化が流行の移ろいに過ぎないのであれば、ここで報告する必要はありません。しかしそうではなくて韓國人内面性の急変と思えるので、重大事として取り上げたのです(読者のみなさんには、神から預言者の役割を与えられているわれわれ牧師の感覚を多少は信じていただきたです)。

☆☆

 10年前、日本人留学生の多いシンチョンを歩けば、メイクを見て日本人と韓国人の区別ができました。
 当時の韓國人メイクは、アイライン、リップラインをくっきりと描き、まぶたもマ・ムラサキにします。鼻の両脇には極端に陰を入れて鼻筋とのアクセントを際だたせます。そんな風ですから、眉毛は自毛を隠して理想の眉を描くのはもちろんです。
 きわめて人工的ですが、私は(クリスチャンでありながら自然派ではないので)結構好きでした。

☆☆

 典型的だったそうしたメイクは、今は40代以上の中高年女性か、職業上必要のある場合がほとんどになってしまったようです。(それでも50代、60代の女性がしっかりメイクしているのも、ここ10年来の変化かもしれません。)
 義妹の説では、彼女の大学時代(10年前)には、みんなが大学2年からそういうメイクを始めていたのだそうです。それが今は、4年間ノーメイクで過ごす女子大生も増えた、ということでした。

☆☆

 変化の原因のひとつは、もちろん女性が自信をもったことによります。社会的な評価が向上したため、外見を社会の要求に合わせようとする必要がなくなったのでしょう。
 それでも、男性の評価に無関心な女性は少ないでしょう。女性のメイクを受容する受益者側(男性)の受容自体が激変していることが、こうした変化を急激なものにしたのです。

☆☆

 男性側の変化は、まず美に対する評価が画一的なものからひとそれぞれのものに変わったことが挙げられます。この点では、男性の側も「個」としての自信を増し加えたのです。
 日本では、「日本人と韓國人と、外見は似ているが価値観や行動様式は全く違う」と言われていた時代がありました。けれども、白人社会やアラブ人社会等と比較したら、極東アジア人のメンタリティは、世界的にみればほとんど差異がないように感じます。
 韓國男性も、昔は地縁、血縁で深く結びつくことで精神的な安定を得ていたのに、今はすっかり個人主義化したのでしょう。

☆☆

 もうひとつの男性側の変化は、メイクを拒否する女性の生き方に魅力を感じるひとが出てきたことです。
 この点は前者と裏腹で、女性が相対的に強くなったのです。男性が男女関係で女性に主導権を譲り渡すことを「しかたがない」または「楽だ」「快適だ」と感じるように変わりつつあるに違いありません。

☆☆

 こうした民衆の個人主義化や女性が強くなったことは、今や世界中(程度の差こそあれ)どこでも一緒かもしれません。
 それでも、ここで敢えて報告するには理由があります。
 韓國社会は、あらゆる所にまだまだ儒教の習慣が残っています。
 私は義弟の所に居候しています。居候の身ですから、家事を少しは手伝わないと何となく落ち着きません。ところが義兄(…私のことです…)が洗い物などをしようものなら、お嫁さんの方が大困惑してしまうのです。私は彼女の精神的な安定のために、無理して威張り腐っていなければなりません。
 男性は、家の中では横柄に振る舞っていなければ、家族は安心できないのです(……ちょっと誇張した表現かナ?)。
 男尊女卑というマイナス面もありますが、目上の人を敬い、家族、親戚を大切にするプラス面もあるさまざまな風習です。こうした風習が、ただ残っているだけでなく、社会がこの風習に依存することで成り立っている面もあります。
 そんな韓國社会で若い人たちの内面が急激に個人主義化しているのですから、その歪みは今後なんらかの形で大きく顕在化するでしょう。

☆☆

 今の20歳代の若者が社会で責任のある立場に立ち、またそのひとたちが育てた子供が生産者になる頃には、韓國社会の儒教道徳は今のままの形で保てるはずがありません。
 良きにつけ悪しきにつけ、20世紀の韓國は2020年には跡形もなく存在しなくなります。
 そして「良きにつけ悪しきにつけ」などと言いましたが、そんな変化は古い世代には「悪い変化」としか映らないに決まっています。15年後、頭の固い老人は「韓國はすっかり滅んでしまった」と嘆いていることでしょう(その頃には、残念ながらこの私もそうした老人の一人です)。しかしその「滅び」は、実は韓國社会が国際競争に勝ち残る力であるかもしれません。


おわり





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